再会・浅草にて
2011年 05月 04日浅草へ出かけました。ツグミがくっついてきましたが・・・。
実は郷里からお友達が来ました。
彼女のお嬢さんが春から関東の学校へ入学され
311の震災後1人で上京し新生活をスタート。
新幹線が開通したので、お嬢さんの周囲へのご挨拶やらもろもろ。
で、私もぜひ会いたいと時間を割いてもらったわけです。
あの日から連絡が取れず一時は心が壊れそうでしたが
数日後、Person Finderで無事を確認、
電波が復活した後は何度かメールで連絡しあえていました。
でも、やっぱり顔を見たい。
「ママはきっとまた泣くんでしょ」
ツグミはそう予想し、私も否定しませんでしたが・・・。
浅草 雷門の柳の下で再会した彼女はいつものかわいい笑顔でした。
あの地震の時、彼女は釜石市内に出ていて帰路の運転中にグラグラと尋常でない揺れを体験しました。
でもそのままお家のある吉里吉里まで運転して帰ったと聞いて、私はひっくり返りそうにビックリ!
土地勘のわかる人しかわからないでしょうが、
釜石から吉里吉里までの間には
津波被害で相当たいへんだった両石、鵜住居地区や大槌を通り抜けなければいけません。
地震から津波までが約30分
その30分内に、知り合いのいる場所に寄り避難を促したと言うの。
道路の信号は停まったまま、
中には橋で停車し海を見ている人々がいてなぜ避難せずにこんな場所で・・・と思いながら
猛スピードで、車がほとんど通っていない道路をひたすら走ったそうです。
まさに、九死に一生・・・数分後には波がやってくる場所を猛スピードで通り抜けていたわけです。
そして彼女は前日・・・「自分の車で猛スピードで家路へ向かう」夢を見ていたという話も聞かせてくれました。
彼女のご家族は聞けばいずれも偶然が重なって無事だったそうですが
私は何かに守られて今日に至っているのだと思いました。
長い復興までの日々、時々は気持ちの入れ替えに東京に来たいと言っていました。
私はほぼ泣かないまま彼女の話を聞けました。
泣く暇がないというか、ビックリしたりホッとしたり、嬉しかったり。
悲しいこともたくさんあった彼女ですが、いつもの元気な笑顔がかわいい彼女でした。
けれど彼女の笑顔が
あの震災の経験を越えてのものであり
様々なつらい経験、体験の後に
生まれた色んな思いを持っていることを忘れません。
後ろには東京の近い未来を象徴するかのようなスカイツリーが空に向かって伸びています。
※Aちゃん、再会を祝し画像を縮尺して載せさせてもらっちゃったよ~。
by cowata
| 2011-05-04 23:59
| 日々のこと